魔法使いの旅

節目の手前
 町中がどことなく浮ついている。
 平成三十一年四月三十日。
 平成という時代が終わり、新しい時代を迎えるからだ。

 世間は平成という時代を惜しみつつ、新しい時代の到来を祝う雰囲気に包まれている。
 そんな世の中から取り残さる疎外感を味わいながら、Mは一人さまよっていた。

「はあ」

 もう随分と長い時間歩きっ放しだったからか、足の感覚が鈍くなっていた。
 気づかないうちに汗を大量に流していたらしく、身体が水分を欲していることに気づく。
 見かけた自動販売機の品揃えを見てみたが、どうにも飲みたいと思えるようなものがない。

「お父さん、あっち行ったらまずなにする?」
「そりゃ、お爺ちゃんとお婆ちゃんに挨拶だ」
「私、お婆ちゃんと遊びに行くって約束してたところあるんだー」
「ずるいぞ。僕約束してない!」

 大型連休だからか、大荷物を背負った家族連れをあちこちで見かける。
 ここからどこかへと行く者もいれば、どこからかここへと来た者もいるのだろう。

 自分はどこにも行かないし、どこからか来たわけでもない。
 あてもなく、苦い思い出のある町を練り歩いているだけだ。

「めでたいことなんて、なにもないわよ」

 恨めしい。
 幸せそうな人々が、浮かれているこの町が、惜しまれる平成という時代が、望まれる新たな時代が――それらすべてが恨めしい。

 そんな鬱屈とした思いを抱きながら、Mは夜まで歩き続けた。
 帰る家がないわけではない。ただ、あそこにはいたくなかった。

 間もなく日も変わろうという頃、疲れ切って、公園のベンチに一人腰をかける。

「はあ」

 気怠い疲労感に包まれながら時計を眺める。
 時計の針が、平成と言う時代の終焉に向かって動き続けていく。

 変わらない。
 時代が変わろうと、なにが変わるわけでもない。
 だというのに、針が少しずつ進んでいく様を見るのが、どうしようもなく疎ましかった。



 目覚めると、見慣れた自室の風景があった。
 公園にいたような気がしたが、あのあと自力で戻ったのだろうか。

 頭に鈍い痛みを抱えながら、Mはスマホを取り出した。

 平成三十一年四月三十日、七時十二分。

「……あれ?」

 違和感を覚えて、Mはリビングにあったテレビをつけた。
 どのチャンネルも内容は似たり寄ったりで――平成の最後を特集したものばかりだ。

「なに、これ」

 動悸が激しくなるのを感じながら、Mはスマホでネットニュースの類を漁ってみた。
 しかし、どれだけ調べても新元号を迎えたことを示す内容のものは出てこない。

 改めてスマホの日時情報を確認する。
 間違いなく、平成最後の日付がそこに表示されていた。

「なんなのよ、これ。私がボケてたってこと……?」

 確かに、昨日の行動は少しおかしかった。
 普段はネットニュースを適当に眺めながら無為に日々を過ごしているが、昨日はネットの中も妙に浮ついていて落ち着かなかった。だから一人あてもなく散歩に出た。歩いているうちに余計ムカムカしてきて、自分自身を痛めつけるように丸一日歩き通した。

 今振り返ってみると、おかしな行動である。
 だとすれば、あれは夢だったのかもしれない。

 朝食前、線香の匂いを感じながら、Mはそう思い直すことにした。

 あんな阿呆な真似はしないと決めて、一日部屋にこもる決意を新たにする。
 しかし、その決意も長くは続かなかった。

 昨日と――というか夢の中と同じである。
 ネットを見ていても、そこかしこに時代が変わることへの期待のような気配が漂っている。
 期待する人々を否定はしない。しかし、そういうものを見たい気分ではなかった。

「あー、くそ」

 スマホの電源を切ってベッドに投げ捨てる。
 これでネットからは自由だ。しかし、そうなるとテレビくらいしか見るものがない。

「なんなのよ、もう」

 これなら仕事をしていた方がマシというものだった。
 仕事をしている間は、辛いことを忘れることができる。
 余計なことを考える暇がないくらい忙しい方が、Mにとっては救いだった。

 しかし、Mにとっては不幸なことに、彼女が務める企業は暦通りの連休に入っている。
 打ち込めるような仕事は、今の彼女にはなかった。

 仕方なく、埃をかぶっていたゲーム機を取り出して、クリア寸前で止まっていた積みゲーを消化する作業に入る。
 とは言え、それらも夕方頃には一通り片が付いてしまった。クリアしたくないという思いから止まっていただけで、その気になればクリアできるものばかりだったからだ。
 熱中していた頃から随分と時間が経っていたからか、エンディングを迎えても特に感慨はなかった。それがまたMの虚しさに拍車をかける。

「……やっぱり、出かけよう」

 結局、夢の中と同じように町へ繰り出す。

 そうして何の気なしに歩き続けた結果、Mは再び例の公園へと辿り着いていた。

「まさか、ね」

 ここで日が変わるまで待っていたら、また四月三十日のままだったりするのだろうか。
 そんなことを考えながら、Mは公園の時計の針を追い続けた。



 そうして、Mは再び四月三十日に自室で目覚めた。



 何度目だろう。
 Mは公園のベンチに腰かけながら、今も時計の針を追っている。

 あれから何度も四月三十日を経験した。
 代わり映えしない、虚しい日々の繰り返しだ。

 それでも、彼女はどこか安堵していた。
 目が覚めて、日付を見る度に、心のどこかが安らぐのを感じていたのだ。

 だからこそ、特に意味もなくこの公園に足を運ぶ。
 ここで零時を迎えれば、再び同じ日がやってくる。

 しかし、そのときはいつもと違う点があった。

「どうも、お一人ですか」

 Mが時計を見ていると、それを遮るかのように、一人の青年が姿を見せたのだ。
 内心ぎょっとしつつも、Mはそれを懸命に隠しながら無視することにした。

「おや」

 無視された青年は「んー」と少し考えるような素振りを見せ、Mの隣に腰を下ろした。

「……なんですか」

 まさかナンパの類ではなかろうが、青年にはどこか普通ではない雰囲気があった。
 よく見ると、服装はあちこちが薄汚れていて、髪の毛もボサボサである。
 しかし、不潔な印象はない。どこか爽やかさを感じさせる、不思議な男だった。

「ご安心を。別にナンパとかじゃないですよ」
「はあ」
「しかし、あれですね。――そんなに新元号を迎えるのがお嫌ですか?」

 青年は世間話でもするかのように、Mの内心に深く切り込んできた。
 今、Mの身に起こっていることをすべて把握しているかのような言葉である。

「は、はあ? いきなり、なんですか」
「いや、実は僕も時間を巻き戻すことができたりするんですがね。だからか、同じような事象には敏感な性質でして」

 僕は飛鳥井秋人という旅人です、と男は名乗った。

「あなた、既に何度も四月三十日を繰り返しているでしょう。頑なに。まるで、平成と言う時代にしがみつくかのように」
「……」
「一応説明しておきますが、このままだとあなた、本当に時代に取り残されますよ」

 秋人の言い方は、説教臭さがまるでなかった。
 Mが取り残されようと、別にそこまで問題ではない、と言いたげである。

「なぜ、それを私に?」
「少しばかり気になったもので。なぜここまで平成という時代にこだわっているのかな、と」
「別にこだわっているつもりはないわ。平成に思い入れなんてないし、新しい時代だって別にどうとも思ってない。元号が変わったところで、私は変わらないもの」

 吐き捨てるように語るMに、秋人は「ふむ」と首を傾げた。

「それはその通りだろう。元号の変化というのは、時代の節目に過ぎない。そこに生きる人々が急に変わるようなことはない。せいぜい気持ちを新たにするくらいだろう」
「そうよ。今を生きている人間にとって、元号の変化なんて大した問題じゃないわ」
「……」

 Mの言葉を受けて、秋人はしばらく沈思した後、生きている人か、と呟いた。

「あなたは、誰かを――あるいは何かを平成という時代で失くしたのか。それで、それを置き去りにするような想いを持っている」
「――」

 共に新たな時代を迎えられない者。
 彼らは、平成と言う時代までしか知らずに去っていった。
 これから始まる新時代は、彼らが知らなかった時代だ。

 生きている人間は、新時代に進んでいく。
 そこに、新時代を迎えられなかった彼らとの明確な隔たりを感じてしまう。
 それが、Mの抱える苛立ちのモトだった。

「随分と分かったような口を利くのね」
「魔法使いだからね」
「旅人じゃないの?」
「旅人は生き方を示す言葉だ。魔法使いというのは、まあ、性質のようなものだね。なりたくてなったわけじゃない」
「だとすれば、私のこの感情も性質のようなものよ。持ちたくてこんな想いを持ったわけじゃない」

 一年前、夫と子どもを交通事故で失った。
 相手は飲酒運転だった。実刑判決を受けたが、それはMが望んだものよりも遥かに軽いものだった。

 犯人は今ものうのうと生きている。
 生きて、新時代を迎えようとしている。
 そのことを思うと、どうしようもなく腹立たしい。

 あんな奴と同じ新時代を迎えるくらいなら、旦那と子どもがいた『平成』の中にい続けた方がマシだ。

「あなたがどういうつもりでここに来たかは知らないけど、私はこれからもこうしてここに来るわよ。そうして、一人苛々しながらも、この時代に残り続ける」
「そういう覚悟があるなら、別に僕は止めないよ。人間、大人になれば選択は自分自身で行うべきだ。他人がそれに干渉するのは美しくない。少なくとも、僕の信条には反する」

 そう言って秋人は席を立った。

「ただ、最後に独り言を言わせてもらうけど」
「……」
「失われたモノを知る人が次の時代に進まなければ、それは本当に失われてしまう。そういうのは、少しばかり惜しいと思う」

 それじゃあ、と秋人は手を振りながら軽やかな足取りで去っていく。
 彼は、新時代へと向かっていくのだろう。

「……」

 一人残されたMは、最後に秋人が残した言葉を胸中で反芻した。

「……私がここに留まり続けたら、二人のことを、皆忘れていくのかしら」

 去ったものとして、記録の中から風化していくのだろうか。
 そう思うと、胸が締め付けられる。

 公園の時計は、間もなく零時を迎えようとしていた。



「あれで良かったのか、秋人」

 秋人の鞄の中から、人の声がした。
 無論、鞄に人は入っていない。

 意志を持った無銘の魔導書――ナナシと呼ばれる秋人の相棒である。

「過度なお節介は僕のポリシーじゃないからね」
「ときどき凄くお節介焼きになっているがな」
「そこはそれ。ほら、僕は気まぐれだから」
「自分で言うとか性質悪いな」

 そうこう言い合っているうちに、時計は零時を迎えた。

 令和元年、五月一日。

「一つの時代が終わったねえ」
「俺からすると、さして新鮮ではないがな」
「そりゃ、ナナシからしたらそうだろうさ」

 それだけ言って、秋人は再び歩き始める。

「なんだ、もう少し感慨にふけるのかと思ったぞ」
「さっきも言ったろう。時代の節目は時代の節目。時代の中にいる僕たちが急に変わるわけじゃない。僕のやることはこれまで通りさ」

 次の目的地に向かって、歩き出す。それだけだ。

 ただ、秋人自身気づいていなかったが、彼の足取りは――ほんの少しだけ軽やかになっていた。